外山滋比古氏でも誤る「引用」

昨日届いた日経ビジネス Associe (アソシエ) 2008年 3/4号 [雑誌](ブログ内で紹介)のP138に外山滋比古氏の「ことばの作法」という連載記事が掲載されています。その中で著作権法について触れられているのですが……

一般の人間も、他人の文章、著作から一部を引用するとき、公表するのであれば、筆者、著者から文書による許可を受けなくてはならない、と心得ておくのが作法である。

と結ばれています。しかし、この表現は非常に不正確で、一般的には誤りであると私には感じられます。
「引用」というのは、このような文脈で使われる場面においては、著作権法上で定義された「引用」を指す物と解釈されると思います。

著作権法32条(引用)  

1. 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。  
2. (略)

とあるように、正当な引用であれば著作権者の許可など必要ありません。もちろん「正当な」引用である必要がありますが、正当な引用であるための条件というのも判例がありますので、割と明確になっていると思われます。ですから、冒頭に引用した外山氏の表現では、著作物の正当な引用を妨げます。たとえば研究論文などを発表することが非常に困難になり、「文化の発展に寄与することを目的とする」という著作権法の目的にそぐわないことになってしまうおそれがあります。

外山氏は「引用」という言葉を著作権法上の用語としてではなく最も広い意味で使ったかもしれません。そうであれば、著作物の「利用」を含む概念になるでしょうから許諾が必要になる場面もあり得ます。
さらに「こういうルールである」とは述べずに「心得ておくのが、作法である」と結んでいます。これは、「(著作権法で定められた正当な引用であっても)そこまでしなければいけないと決まっているわけではないが、一応断りを入れておくのがよい」と言いたいのかもしれません。

しかし、いずれにせよ、誤解を招きやすい表現であると思います。雑誌の編集者側でもチェックはしないのでしょうか……

外山氏自身も著作権法について当該記事で述べています。

周知徹底からはほど遠い。
まさに……